お盆にて

嫁の実家の帰省に寄生。
今日は御前崎の海に行ってきた。
満潮時で、岩場の磯も海の生き物採集どころではなかったが親子連れで賑やかだった。
砂利塲の浜で貝殻採集。
子供はおおはしゃぎだった。
海の側に住みたいと思った事は一度もないけど、
海は好きだなぁ。
ここはサーフィンの名所でもあるそうな。人生の転機が来たら、やってみたいスポーツのひとつだ。
遠い目・・・。

父の棺の前で

yuzuk452009-03-25




飲んでます。
ずっと一緒に呑みたいと思いつつもなかなかそうできなかった相手です。
相手は棺の中の父。
寝たきり闘病中につき多忙を極め、四年間こんな機会なかったので。
のめばのむ程、闘病に苦しむ表情からは考えられない程穏やかな顔で、それは納棺士さんの腕でもあるし、
果てなき苦闘から解放された男の顔であるし。
今、何故若き日にあんなに父に反目したのか、理由がわかりません。
今日の通夜でわかったのは、
父が周りの人からいかに愛されていたかということでした。
それは生涯を精一杯生きた人間の収支決算みたいなことなのかなと。
父は幸せな人生だったと思います。
けれどもそれは決して楽をして得られたものではないのです。

なんか、ありがとう。
そして、お疲れさま。
世代交代は進みます。後は任しといてください。

おしゃかしゃま

RADWINPSにはかなわないな。
ちなみにこの曲のみしか聞いたことないのでコアなファンだったら相手にしないで。
年のせいなのか、j-popも率直に聞けるようになった気が・・
否、J-popってもう死語なんだよな。
老体ジャニがタブー壁で囲みつつ、綺麗に墜ちながら伝統を引き継いでるぐらいで。
彼らは彼らでしょう。好きですとても。

リメンバー2月8日

父の心臓が止まった。


ライブを控えた3時間前。
ライブハウスの最寄り駅に降りた瞬間、母からのたくさんの着信に気がついた。
「お父さんが呼吸してない。早く病院へ向かって。」


ちょ・・っと待ってよ!週末深夜練習して、友人知人に告知もして、
それ以上に大量飲酒に時間を割いて・・今日本番なのに!


すごく戸惑ってまた連絡する、と母に言い残し、すぐメンバーたちに逢ってその話をした。
ほぼ即座に「行け。すぐに行け。」って。「呼んでるでる人たちどうしよう・・。」「まだ間に合う、連絡しろ。」って。
迷惑かけてほんとにごめん。ほんとどうすんだろ。演奏できないジャン?でも親父死んじまうジャン?
俺らプロだったら絶対空けられないんだけどな。そのままメンバーと別れて、電車に飛び乗った。


親父は植物状態の寝たきりでもう4年になる。最近毎月毎に9度近い熱を出していた。そしてこの日の正午、心臓が止まり呼吸しなくなったという。とりあえず蘇生はしたらしいが、危ないかもしれない。

八王子からタクシーに乗って、病院に着いた。看護士さんから状況の説明を受ける。
懸命の心マッサージのおかげで危機は脱したそうだ。そして、今後の緊急時の対応について交わしている念書の内容について確認が始まる。
人口呼吸器をつけるか否か、先日急に母は、それをつける事を望んで先生に伝えていたのだが、「今日の姿を見て、これ以上苦しめるのは辛い」と呼吸機の装着を拒否した。

母は、自宅から2時間かかる病院なので、こんど突然何かあったら間に合わないかもしれないね、と言った。
嫁さんもタクシーで飛ばしてきて、ひとまずの無事を喜んだ。ぐっすり眠る親父を囲んで、ぼんやりと家族三人表情を失っていた。
とりあえずできることもないので、出口に向かった。

ほっとした途端、今日という日の為に集中したエネルギーを完全持て余している事に気づく。はやくメンバーに会って、お礼を言いたい。そして詫びにビールでも買いたい。だいじょうぶだったよ、迷惑かけてごめんね。

が、結局会場に向かうことは無く、吉祥寺で降りた。嫁さんが冷静に、「そんだけインパクト与えてしまったら皆引くでしょうが。」と言ったので納得した。そうなんだよね、そういうとこ昔から感知できないんだ俺の脳は。

思いがけず、腹も減っていたので久しぶりに二人で晩飯を食べる。台湾料理屋でうちらにとっては贅沢なごはん。今日のライブの為に義父が子守をしてくれているので、思わぬ時間があったんだ。チンタオビール。「まあね、あなたの気持ちはよくわかるよ。」酎ハイ。酎ハイ。
「また遊んでね!って自分から言えばいいのよ。」と嫁御…不謹慎だがまだ動けて喋れていた頃の親父のマネで言いたい。

「みんな、あじがどお」

そして、関係者各位、迷惑かけてしまって申し訳ない。
ごめんなさい、絶対またやるから!!

ホロコーストホロコースト!

もしも東京がパレスチナだったら…(1)
イスラエルのガザ攻撃をめぐる嘘トップ・ファイブ

これは戦争犯罪でしょう。虐殺・屠殺でしょう。
<イスラエル軍>住民を住宅に集め砲撃…30人死亡 ガザ

ポーランドのクラコフ郊外でナチス戦争犯罪負の遺産であるところのオシフェンチム(ドイツ語読みでアウシュビッツ)刑務所に行ったとき、真夏だというのに鳥肌が立って、嫁(当時彼女)は貧血ぎみになり、お互いふらふらだった。房の豚小屋よりも酷い狭さと、当時のものかは判らないが藁が敷いてあって生生しく、饐えた臭いがしてくるようで本当に禍々しき空気だった。処刑場の「黒の壁」だとか、ガス室から直行する焼却炉だとか、灰がこびり付いていて本当に禍々しい。男も女も老人も子供も幼児も赤ん坊も灰にされた「死の工場」の記憶は、未だに雄弁にユダヤ人やその他のマイノリティの受難を伝えてい、訪れたぼくらの脳にも深い印象を刻み付けた。

そんで、その大変な迫害を受けた子孫たちは、自分たちの国家を手に入れ定住するために、かつて同胞がやられたことと同じことを暴力全開で別の人々に向かって行っている(きた)。負の無限ループ。やらなければ殺されるという現実?かつて習った「命の重み」という言葉の響きの、なんと虚しく感じられることか。そんな価値観は聞こえは良いだけで中東の現実には全くマッチしていないんだ。とわかった。イスラエルもやらなきゃならない、パレスチナも黙ってはいられない。これは数千年続くんじゃないか、きっと人類が居なくなる直前までやってるだろう。

もうどうしていいかわからない。でもそうならない為に人は、いっぱい勉強するのではないかと思っているのだが。