チベットに行けていない

堪らない、たまらんので続けて書きます。

僕はチベットに近づきながら、自分の弱さでチベットに行けなかった人間です。

ネパールで、カグベニというチョモランマの麓の下にある村までは行きました。
そこはチベタンの村でした。(色々部族はあると思うがそれはわからない)
「Tashi Delek」という挨拶、礼儀正しい人たちでした。
別れ際、絹のショールをくれました。

同じくネパールの観光地、ポカラではチベタン難民の村に行き、ツァンパ(主食の粉)と
バター茶をご馳走になりました。その後お土産売りつけられたけど・・。
ごついおっちゃんで、ものすごく精神力の強い魚屋といった感じでしたが、
その手は大きくで柔らかだったのをおぼえています。

そして、中国に滞在していたときは、
雲南省のリージャン(麗江)から闇ルートですがバスが出ていましたし、
新疆ウイグル自治区の西の果て、中国の西の果てから西チベット経由で入ることだって出来たのです。実際、そこでは入山口の町まで行っていたにもかかわらず、何か萎えてやめちゃった。
同行していた韓国人のグループは、皆ラサまで行ったそうです。

ここまでは、要するに僕がなんかビビッてラサに行けなかったていうどうでもいい話です。

これだけチベタンの生活や文化に触れる事があったにも関わらず、
実際どんな災難にあわされていたかを全く知らなかったのです
全く、無知としか言いようが無く恥ずかしい限りです。
だからこそ、今回の事は残念でなりません。
600万の人口のうち、120万人を虐殺されて、今なお弾圧され民族浄化が進められている国。
長い歴史に根ざした繊細ですばらしい芸術・文化を究極無神経な泥靴で踏みにじられている人々。
(僕の知人のタンカ絵師(日本人・チベタンに師事)は、いまどう思っているのだろうか…)
陰惨な手口で拷問され、人格を奪われてる人たち。
どっかの大国はイラクはもういいからココの収容所を襲撃してほしいです。ほんと、頼みます。
解放してあげてください、酷過ぎます。自由を守る戦いにこれ以上意義ある場所はないでしょ。

なお、今回のチベット『蜂起』でマスメディアは情報操作しまくっています。(暴動といってる時点で奴隷国家の中華広報部丸出し)犠牲者は10人〜50人なんてもんじゃありません。
500人を超えているようです。

チベットの次は台湾、そして日本だとすれば…考えるだに恐ろしい中共政府です。